「 実 務 教 育 」による建 築 技 術 者 育 成建 設 業 界で飛 躍する卒 業 生を送り出す学校法人 浅野工学園 理事長浅 野 公 夫 10 0年先を見つめた学 び 。創 設 者 浅 野 總 一 郞創設者である浅野總一郎は、京浜工業地帯の基礎を築き日本の興隆に邁進した実業家。しかし、若い頃は失敗と苦労を重ね、身を粉にして勤労。その總一郎の姿勢に共感し、渋沢栄一や安田善次郎らが事業の協力者として集いました。ある時、外国に港湾開発の視察に赴き、その発展ぶりを目の当たりにした後、横浜港を近代化し日本初の臨海工業地帯を独力で建設。その他、浅野セメント(日本セメ浅野總一郎の功績浅野總一郎邸のステンドグラス本校創立者浅野總一郎邸の表側廊下に連続する高窓を飾っていたヨーロピアンステンドグラスの一部です。浅野邸は、1928年に本校初代校長阿部美樹志工学博士の設計により、東京都港区札ノ□に建設された当時大変珍しい鉄 筋コンクリート造で、欧風のモチーフに東洋趣味を折衷した独自性豊かな「東洋趣味の新住宅」として話題になりました。第2次世界大戦終結以降は港区立芝浜中学校の校舎の一部として使われていましたが21世紀初めの中学校の統廃合の中、残念ながら取り壊されました。本校では、実習・実験・演習を中心とした「実務教育」を推進しています。「実務教育」では学内の講義だけではなく、実務を学べるインターンシップ(職場実習)を企業と連携し、実習内容を検討して実施します。さらに建築の「仕事に就く」ためのキャリア教育としての業種説明会、ビジネスマナー講座、大手企業人事採用担当者による模擬面接など、就職へのサポート体制も万全。建築技術者に必要な「資格取得」のための学内講習もあり、充実した学生生活を過ごせます。ント→現太平洋セメント)、浅野造船所(日本鋼管→現JFEエンジニアリング)、鶴見埋築会社(現東亜建設工業)、鶴見臨港鉄道(現JR鶴見線)、南武鉄道(現JR南武線)、札幌麦酒(現サッポロビール)、浅野綜合中学校(現浅野中学校・高等学校)など現代に名を轟かせる企業・学校の基礎を作りました。挑戦を続けた「九転十起」の精神は、浅野工学専門学校にも脈々と受け継がれています。 MESSAGEMESSAGE● 南武線、鶴見線、常磐線、五日市線などを創設● 後継者育成のために浅野学園中学・高校を創設● 横浜市の委託により本校の前身である 混凝土(コンクリート)工法講習所を開設●日本で初めて『会社組織』をつくった近代実業家●日本で初めて原油を輸入し、日本で精製する ● 帝国ホテル創立株主 ほか●日本で初めて東京の道路舗装を提案●日本で初めて富山県庄川に 東洋一のダム「小牧ダム」を築く●日本で初めて鶴見沖に大規模埋め立て地を造成●サッポロビール創立株主浅野工学専門学校 校長加 藤 直 樹創設者 浅野總一郎による建学の精神「勤労・奉仕・勉学」。建築の技術教育事業の展開を通じて、社会の繁栄に寄与すること。これらは浅野工学専門学校の学びの柱となり、90余年間変わらず息づいています。「働く」ことを通して社会の役に立つ。自分のやりたいと思う仕事で活躍できる環境を手に入れるため、勉学に打ち込んで自分を高めていく。そんな未来を切り拓く夢と信念を抱き、建築の道を志す全ての若者達を私たちは応援しています。本校は1925年に学校法人浅野学園に併設された混凝土(コンクリート)工法講習所を起源に持つ歴史ある専門学校です。卒業生は業界の広い分野でプロフェッショナルとして活躍しており高い評価を得ております。長い経験に裏打ちされたカリキュラム、業界での経験者を多数抱える教授陣、最新の設備、学生同士が刺激しあえる仕掛けなど有効的かつ実務的な教育環境が整っています。男女の区別なく、有意義で楽しい学生生活が送れます。29建学の精神「勤労・奉仕・勉学」
元のページ ../index.html#30